Lobyの3色日記


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ Lobyの感想、考え&活動日記を書いています ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 



 12月 2日 土曜日

自然研修センター


土曜は自然研修センターで壮年部幹部の唱題会&指導会がありました。久しぶりの快晴で題目をあげるのも爽快(^∇^)
昼食は、なんとお弁当をご馳走していただきました(^_^)v
ふつうは、この種の会合では各自がお弁当代を払うのですが、今年最後の会合というわけでか、ご馳走になったのです(^∇^)
朝7時過ぎから午後3時まで、中に指導会と昼食をはさんでの唱題会でしたが、たっぷり4時間以上題目をあげれました。


 


 11月 4日 土曜日

2007年へ向けてスタート


本日、午前9時より、サンパウロ市郊外(市内より30キロの距離)に所在する自然研修センターでブラジルSGI全国執行会議が開催されました。同会議にはブラジル各地より代表1300人が参加し、明年度のテーマ、活動大綱&部別の活動方針等の発表がされました。その折に、池田先生よりメッセージを頂きましたので、ここで紹介させていただきます。


               メッセージ


明年の「前進・勝利の年」へ向け、どこよりも早く出発される「ブラジル全国執行会議」の開催、誠におめでとうございます。世界の王者の誇りも高く、広宣流布の尊き行動を貫き通してこられた皆様の福運は無料無辺であり、日蓮大聖人も「善き哉、善き哉」と御賛嘆下さっていることと確信します。

  御聖訓には、「わざわいも転じて幸(さいわい)となるべし、あひかまえて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給え、何事か成就せざるべき」(1124㌻)と仰せです。どこまでも純粋なる信心で祈り、行動する人には行き詰まりがない。故に、何があろうとも決して退くことなく、「幸福の大道」を確実に着実に歩んでいって頂きたい。そして、何者にも負けない尊貴なる姿をもって、良き市民として、家庭に、社会に、希望の光彩を放ち続けていって下さい。

  本日集い合った皆様が、ブラジルSGIの中核中の中核の方々であります。どうか来るべき50年を決するこの大切な一年間、一人一人が、自身の更なる勝利の歴史を、堂々と切り開かれんことを心より祈っております。

  ブラジルSGIの前進こそ、世界広布の前進です。ブラジルの勝利こそ、創価の師弟の勝利です。笑顔あふれる皆様にお会いできる日を、心待ちにしております。どうか身体を大切に。皆様の御健康、御多幸を、私はいつもいつも祈っております。


                          2006年11月4日



 

 10月 15日 日曜日

T個人会館落成式


日曜の午後からTさんの個人会館落成式がありました。
Lobyも落成記念勤行会に参加しましたが、T個人会館は200人の収容能力があり、個人会館としてはかなり大きい。仏壇もかなりモダンなのを購入されて、照明とマッチしてさらに美しく見えます。

R支部長から、T会館が完成するまでの経緯の説明がありましたが、Tさんの入会は1967年とかなり古く、草創期はサンパウロ市で男子部として戦った経験をもっている方ですが、その後活動から少し遠ざかり、80年代の終わり頃に日本に働きに行き、M市郊外の現在の場所にマーケットを開け商売を始められたようです。長年この区域でマーケットを経営しているうち、地域の住民の方たちと親しくなり、そのうち、彼がSGIのメンバーであることがわかり、R支部長(当時は地区部長)など幹部の訪問を受けるようになりました。それがちょうど1995年頃の話しです。訪問を受け始めた頃は、「僕は商売で忙しいから…」と仕事で多忙なのを言い訳に活動に参加しなかったTさんですが、R地区部長の誠意ある態度と粘り強い訪問&対話の結果、4年ほど前から活動に参加するようになりました。昔、草創期の男子部で鍛えられたTさんは、めきめきと頭角をあらわし、積極的に活動に参加するとともに、弘教にも力を入れるようになりました。Tさんは気さくな人でもあり、商売柄、地域に多くの知人がいることも手伝って弘教の成果も着々と出始めました。昨年、Tさんはブロック長に任命され、今年の始め、弘教で世帯数が増え(5年前約20世帯であった地区は今年70数世帯にまで増加)2分割された地区の内の一つの副地区部長に任命されました。その時、Tさんはあまりにも増えすぎて地区座を開こうにも収容できる場所のない地区メンバーのために、個人会館を建てようと決意。建設を決意してから4ヶ月で見事な地域広布の牙城が完成しました。日曜の落成式には奇しくもTさんが男子部時代に激励に通った、当時の男子部メンバーの一人であったワグネル・イサミさんがブラジルSGIの副会長として参加。お互い奇遇を喜び合いました。イサミ理事長は祝辞の中で、先生のスピーチをベースに地域広布の重要さについて触れるとともに一人の率先した行動が大きい変換をもたらすことを強調。Tさんも家族とともに更に地域広布に尽力する誓いを新たにしていました。

「一人立て!二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう」との、先生の示された広布の方程式、人材育成の原理はここでも見事にR支部長によって実証されています。

(写真はT個人会館と落成式の様子)
 

 9月 16日 土曜日

近隣友好の夕べ


M市に文化会館が出来て以来、今回初めて近隣友好のエベントが開催されました。
文化会館が完成したのは2002年末。以来、幾たびか近隣友好のために、なにか催しを開催しよう、と提案してきましたが、やはり通常の行事活動に忙しいのか、誰一人そのことの重要性に気がつかなかったようです。

今年後半期の日程案が検討された時、再び、というか、三度、不肖Lobyは近隣友好の催しを開催することを提案。少々無理っぽい感じでしたが、なんとか9月の日程に盛り込んでいただくことが出来ました。

実際、実行する時期になっても、真剣にこの催しの開催についての準備&打ち合わせ等に参加してくれたのは、高等部、学生部を主体とするスチューデント部でした。
結局、壮年部と婦人部の混声コーラス、ヤング・ミセス部のダンス、音楽隊、鼓笛隊の演奏、それと講師を招待しての健康セミナーを盛り込むことが決定。
ある週末を利用しての近隣の方たちへの招待状配布も、壮年部&婦人部有志の参加はなく、スチューデント部のヤングたちが10人ほど分け合ってで200枚の招待状を一軒一軒訪問して配ってくれました。

当日は、近隣の方たちと友人の方たちが70数名と、メンバーの方たちが100名ほど近隣友好の夕べに来てくださり、健康セミナーを聴講されたあと、文化会館内に設けられた池田先生の著作展、平和活動及び平和への提言のパネルなどを見ていただきました。
健康セミナー開催中は、別室で子供向けに、これも池田先生原案のマンガのビデオを上映。大人にも子供にもためになり、楽しめるエベントが開催できたと思います。

それにしても、スチューデント部って本当に純粋で素晴らしいと再認識をしました。
エベントの趣旨をきちんと説明すると理解してくれ、喜んで引き受けてくれました。
これらの若者がいる限り将来も大丈夫ですね。

さらに、さらに大事にこれらの若者を育てなければ!



 

 9月 9日 土曜日

更賜寿命


金曜に中川ミツオさんがが亡くなりました。

体験談ページでもロゼリさん一家の宿命との戦いの記録を紹介させていただいておりますが、ミツオさんは先月半ば、5センチの大きさの膀胱結石を摘出するために入院。摘出手術はうまくいったものの、手術後の回復が思わしくないことから、検査を行った結果、胃潰瘍であることが発見されました。本人は首から下が感覚がないため、胃の痛みも感じなかったため発見が遅れたものですが、すでに出血をともなう重度の胃潰瘍となっていました。

病院ではあらゆる手を尽くしましたが、今回ばかりは寿命というべきか、治療も効なく金曜の午前11時に亡くなりました。

ミツオさんが手術のため入院して状態が悪化した時、地区ではミツオさんの回復を祈る唱題会をしてくださり、題目を送っていただきました。また、多忙な中、見舞いに行ってくださったメンバーの方もいました。ロゼリさんの家族もたいへん感謝していました。

ミツオさんが事故で首から下が不随になった時、上述の体験談でも書いていますが、彼は死の淵をさまよっていて、普通であればそのまま死んでいたのを、ロゼリさんの唱える題目を聞いて「オレは今、死ぬわけにはいかない。子供も小さいんだ!」と必死の力を振り絞って死の淵源から蘇りました。

それから11年...
小さかった子供たちも立派に成長し、事故当時14歳だった長男は今は25歳。わずか6歳だった末っ子は17歳になり、4人の子供たちは親の手を煩わせない年齢になりました。財政的にもまったく問題がありません。

これらをすべて見届けて、信心で11年寿命を延ばし、今回、家族に看取られてミツオさんは安らかな眠りにつきました。入院中は顔色もすぐれず、亡くなった直後は少し苦しそうな顔をしていたそうですが、家族と同志のみなさんがたくさん題目を送ってあげたおかげでしょう、告別式の時には、ほんとうにきれいな相をしていました。いかにも“これでゆっくり休める”とでもいいたげな、本当に安らかな如是相でした。

 ミツオさんのご冥福を心から祈らせていただきます。

 

 9月 3日 日曜日

教学試験(^^ゞ


2年ぶりにブラジルで教学試験が実施されました。
今回は、任用試験と1級昇格試験です。

やはり圧倒的にヤングが多いですね(゜ー゜)(。_。)ウンウン
10時開始の試験ですが、1時間前に試験会場に到着するようにとの連絡がよく行き渡っていたようで、9時前から会場に来ていたメンバーの方もいました。

会場は、文化会館のすぐ上にある公立校で、毎週土曜の午前中には組織の有志が教室をいくつかお借りして、識字プロジェクトを実施していることなどもあって、学校の校長さんたちとはたいへん友好的な関係にあり、今回の試験でも8教室を貸していただきました(^∇^)

11時半には全ての試験が終了、お昼休みのあと午後2時からは試験の採点です。総勢25人ほどで採点を始め、数回採点をチェックしたあと、午後5時少し前に完了♪

採点結果(各問題別の点数)はインターネットを介してBSGI本部へ報告。科学技術の進歩ってすごいですね。
インターネットであっと言う間に参加者数(4部別)、問題別の点数まで送ることができ、本部ではすぐに統計をとれるのですから。

最後に、今日の驚愕試験に参加した方たちの意見をここに書きますと、「かなり難しかった!」とのことでした。

ウン、教学で鍛えられてこそ立派なリーダーになるんですよね。


 

 9月 2日 土曜日

ルシアネさんの一家和楽の信心


体験談ページに記載した、『ルシアネさんの一家和楽の信心』の一部をここで紹介します。


ルシアネさん(専業主婦)はとても明るいヤング婦人部。入会は1991年。ご主人は未入会ですが一人で素直な信心を続けてきて、ブロック担当員、地区婦人部長、支部副婦人部長と大きく成長。 ところが、2年ほど前に、彼女がご主人からいただく家計費から財務を払っていることをご主人に見つかったことから夫婦間でトラブルが発生。というのは、ルシアネさんのご主人はかなり高給をもらっていて、家計費とかお小遣いとかにかなりの額を与えていたのです。ルシアネさんは、財務は広布を推進するために重要だとの考えから、かなりまとまった金額を財務していたのです。一方、ご主人はずっと以前から、ルシアネさんが学会活動に出るのをあまり快く思ってはなかった。だから、ルシアネさんもご主人が仕事に行っていない昼間などに積極的に活動に出て、夜は主に週一回の地区の唱題会だけに参加していたのです。

だから、「オレが汗水たらして稼いだ金を、そんな宗教に貢ぐなんて許せない!」という風になってしまって、あげくの果てが、学会活動に出ることを禁ずるまでになりました。
さらに状況は悪化し、Lさんのご主人は会社を辞め、独立して不動産売買業をはじめ、日中も家にいることが多くなりました。つまり、ルシアネさんは夜も昼も活動に出れなくなったのです。それでもルシアネさんは持ち前の楽天主義から挫けず、一生懸命に唱題で状況の変革を願いました。状況がもっとも悪化したのは、ルシアネさんのご主人が、それでもLさんが信心を止めずに続けているのを見て、“離婚をする”と言い始めたことです。

ルシアネさんとご主人の仲はたいへん良く、人がうらやむようなカップルだったのですが、ルシアネさんに家庭革命を成し遂げる機会がお訪れたのでしょう、三障四魔が憤然と出たのです。ルシアネさんは婦人部幹部の激励・指導を受けながら、真剣な唱題を続けました。
真剣な題目の結果は現れ、ご主人は離婚を思いとどまりました。(のちにルシアネさんのご主人は、自分の友人たちの幾人かが離婚しており、必ずしも幸せとは言えない生活を送っていることを思い出し、自分は恵まれた家庭をもっていることに気がついた、と述懐しています。)
当時、ルシアネさんのご主人の商売(建売住宅販売)が思うように行ってなかったのも、ルシアネさんへの面当ての一因であったとも言えるでしょう。 夫婦危機を乗り越えたあと、ご主人は、自分の商売がうまく行くように題目を上げてくれ、とルシアネさんに依頼するようになりました。 ルシアネさんは、「それは、私も当然お題目は上げます。だけど、あなたも上げなければ。仏法は他力本願ではないのですから」と答えたとのことです。

半分渋々(?)で、それもルシアネさんがいない時を見計らって、隠れて題目を上げ始めたご主人は、題目の結果が厳然と商売の上に出ることを実感。それからは、恥をすて(?)、商談が成功するように一生懸命題目を上げ始めた。ルシアネさんに連れられて、初めて座談会へも参加。その後は、自ら積極的に座談会に参加するようにまでなり、ついに昨年、小さな二人の息子さんとともに晴れてSOKA-GAKKAIへ入会♪

こうしてルシアネさんは、一家和楽の信心の実証を見事に示しました。

 (以下、組織編は体験談ページでごらんになってください)

 
  



 
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