Joyful diary
 



 6月 21日 日曜日

引越しのお知らせ


いつもこの日記を見てくださって有難うございます。
今回、都合により次の場所へ引っ越します。。。。つうか、今では別荘になっているブログへ戻るだけなんですが。

こじんまりとしたこのサイトも捨てがたいのですが、最近とみに動きが悪く、いらいらする事もしばし。パソコンのメモリーを増設すればいいのですが。

たちつてとの管理人様、前の日記からでは丸五年の永きに渡りお世話になりました。有難うございました。またいずれ舞い戻ってくる日のためにこのままお借りしておきます。

おっと引越し先でした。
引越し先

皆様、本当に有難うございました。しばらくしたら、自分のサイト「広島 花と絵付けのページ」トップページからの内緒のリンクも外す予定です。
 


 6月 17日 水曜日


 

空梅雨?


入梅宣言のあと、雨が降らない。主婦にはありがたいけど、農家の人は大変である。
雨が降らないと外出も簡単。日曜日は向原の菖蒲祭りに出かけ、帰りは温泉施設「楽天地」に寄ってみた。

夫は温泉嫌い。入るのではなく、どんなところかと先日は見学だけ。
昼前だが、次々お客さんが来る。マイカーで、はたまた送迎用マイクロバスで。ご飯食べて、演芸を見て風呂入って。54号線と違ってこちら37号線は三次への裏道。近隣の大きなレジャー施設はここだけ。

老人会の親睦会のグループが多かった。フロント付近には役者さんのポスターがずらりと。金髪のちょん髷、豹柄の羽織。。。傾き(かぶき)の極み。ありえんだろと思いつつ、大衆演劇はこれでなくては。

新しいデジカメだと、顔きれいナビモードに自動的に切り替わる。何で顔と分かるのかな…ナゾ。

いつかリラックスしてこんな施設が楽しめるようになれるかな・・・
 

 6月 16日 火曜日

  

一手千両


文藝春秋 岩井三四二著を読んだ。
江戸時代、大阪堂島の米の先物取引に関わる人たちの人間模様、義理と人情、欲得と欲得抜きの友情や愛情と盛りだくさんの面白い小説だった。
特に先物取引で、あっという間に利益が上がったり、損切り出来ずに損が膨らんだり、幕府が市場に介入してきて強制的に値をあげたり、下げたりとたいそうスリリングだった。投資というよりは丁半の世界、どきどきするのも無理はない。現実にはとても怖くて出来ないので、読んでどきどきくらいがちょうどいいかも。

堂島の米の先物取引は世界最初の先物市場、今ある取引のさまざまな形態はほぼ出揃っていたようで、今更ながら近世日本の経済の仕組みの完成度に驚いた。。。。というような事を書くと上の広告がFX取引なんてのになったりしそう。

日曜日は向原の菖蒲園に行きました。
 

 6月 13日 土曜日


 

みやこの底力


往復高速バス、宿は和室1名一泊朝食付きネット特価4,800円に決めた。節約した分、遊びと買い物にまわしたい。

結婚式もする大きなホテルだけど、ホテルの風呂は味気ない。。近くに日帰り温泉か銭湯がないかと探すと、これがあるんですね。レトロで個性的なのがザラザラと。これにはびっくりした。

我が家の近くも広島のdeep south、軍港の名残のレトロな町だけど、銭湯はもうわずか。(そのひとつが御幸通りの勝利湯なんて、旧軍事都市はこれだからね。御幸通りだって日清戦争のとき明治天皇が通ったんじゃないかしら、たぶん)

京都の銭湯を巡るサイトがいくつもあり、本まで出ているんだから、市内には一体いくつあることやら。

その時々の自分の興味にきっちり答えてくれる古都。神社仏閣にあきたら、自分流の楽しみ方がいろいろ出来るのだと再認識した。

西陣織会館では十二単も着せてもらえる。うーーーーむ、着付けに80分かかるんですと。着てみたいけど、重そうだな~~

デジカメを新しくしたのですが、バイト数が大きすぎて、いろいろと億劫。最近全然写真を撮りません。古い写真でなにとぞお許しを。

車を塗り替えているのがわが息子。大学時代、サークルのホームページを覗いては無事を確認していた日々。趣味が嵩じて今は自動車会社に奉職する身なれど、なにをしていることやら。。。。

もう一つは二年前の今頃、東広島市の並滝池付近で。前を行くのが夫です。
 

 6月 12日 金曜日


 

母の話によると・・・


昭和18年ころなくなった、私から言って母方の祖父は白羽二重の花嫁衣裳を着て旅立ったとか。そろそろ衣料の不足する時代、白い帷子が手に入らず、仕立物をしていた親戚から譲ってもらったらしい。
同じ部屋で子供が習字をしていて、墨で汚し別のもので弁償して、汚れた羽二重は持っていたらしい。

花嫁衣装で旅立つ祖父…当時の生活の厳しさを思ってみる。

実家地方では、今もたぶん未婚の娘は葬式には晴れ着を着る。なんでだろと昔から疑問だったが、最近読んだ「昭和のキモノ」河出書房新社によると、娘を人目にさらす事で、今で言う婚活の意味もあったとか。なるほど合理的である。周りが結婚のお膳立てをしていた時代ならばこそ。

母は自分の父親の葬式に従姉の訪問着を借りたとか。

子供の頃、家から葬式の出る子がどんなに羨ましかった事か。

学校を休める。お祭りにしか着ない晴れ着を着せてもらえる。大型バスを借り切って親戚中で火葬場まで行く。

葬式の意味が全く分かってなかったんである。子供の浅知恵。

実家地方の五月の押し寿司。作っているのは実母。瀬戸内を回遊してくるさわらで作ります。瀬戸内の東半分は鯛よりも鰆がよく取れるそうです。
 

 6月 11日 木曜日


 

京都の宿


月半ば京都に行きたいが、宿が決まらない。もう子供が京都にいないので、行ってもつまらない。京都は宿泊施設の種類が多い。

記憶にあるもの
宿坊・・・・西本願寺聞法会館、妙心寺大心院
旅館・・・・田中屋旅館、祇園佐の 
片泊の宿・・いしだ旅館
ホテル・・・新・都ホテル、京都国際ホテル、ホリデイ・イン京都、京都パークホテル、サンホテル、三井ガーデンホテル京都四条、ホテルオークス京都四条
公共施設・・関西セミナーへハウス
同窓会館・・京大会館

私の中のベストスリーは田中屋旅館、関西セミナーハウス、京大会館
ワーストスリーはどことは言いませんが、大型の都市型ホテルです。今はシーズンオフでダンピングしています。安いのはいいけれど、エレベーターで上がって長い廊下を曲がり、鍵を開けて狭いシングルの部屋、窓も開かない…思っただけで息が詰まりそう。

町の中心部は昔ながらの旅館、特に東西本願寺の周辺は地方からの参拝者向けの昔ながらの旅館が多いみたい。京都駅前(烏丸口)には泊まったことがないので、いろいろ探すうちに昨夜はパソコンがフリーズ。今朝は更新が自動的に始まり、、あれこれするうちに夕方になった。

あーーー決まらない。情報が多すぎるのも良し悪し。

今回は伏見のパルスプラザへ行くので、やはり京都駅付近で決まりかな。
夜行バスで往復という荒業もありますが、疲れるんですよね~

写真は済州島で。オールインワンのロケに使われた雉の射撃場。雉鍋が出ました。
もう一つはロケに使われた教会の廊下で。
 

 6月 9日 火曜日


 

昔の婚礼


先日、アカデミァで昭和30年の「家の光」の付録を見つけた。値段は1,000円、生活合理化の工夫のあれこれの特集である。燃料を節約するかまどの設計図とか、当時の質素で手間のかかる生活のあれこれが興味深かった。

巻頭は新時代の合理的な結婚式のイラスト。どこかの座敷で新郎背広、新婦は青い着物に洋髪、簡単なベール。親族でお膳に付く。シンプルだけど、集まった人とゆっくり話が出来そう。

一番年下のおばが結婚したのは昭和38年、30年頃に比べるとかなり豪華になっていた。
今との一番の違いは花嫁の仕度を家でしていたこと。出入りの美容師が着付けの人を伴って現れたように記憶している。親戚の人たちも家でそれぞれ着物を着て、賑やか。近所の人も見物に来て、見送ったように思う。

相手は勤め人だけど、実家の農家の座敷で婚礼。私は写真でしか知らないが、内掛けの下に赤い振袖、内掛けを脱いで角隠しを外してお色直しだったと思う。

お土産は赤飯、海苔巻きもあったかな、我が家地方ではおめでたい形に細工したかまぼこ、折からはみ出るくらいのでかい鯛の塩焼き、それを三段重ねにして寿の字を染めた白い風呂敷に包んで持ち帰る。お土産は近所中に少しずつ分けて配る。おめでたいことのおすそ分け。

近所で青物市場へ勤めているお姉さんがいて、バナナの仲買業者の息子さんと結婚したが、これが私が知る限りではホテルで挙式の最初の例。
「ホテルの結婚式はつまらん。お土産がなかったんやと」と近所の話だったが、そろそろ時代が変わっていたのかも。昭和37年くらい?

バナナ屋さんは地元では大手のスーパーチェーンになり、広島にも支店を出している。お姉さんももう70歳くらいでしょうか。あの後一度も会ったことないけれど。

母がビーズのバッグを編んでくれました。40年くらい前です。母は手先仕事が得意です。先日も半襟を縫いつけてもらいました。私はいい歳して縫い物が下手です。
 
  

管理人   2009/06/09 01:45  [495]
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