戸沢ひろゆき 日々の日記


 元地方議員 戸沢ひろゆきの日記
 



 4月 8日 日曜日

風が吹き 夜に雨が降り 花びらがとびました


夜中にシャワーのように大雨が降り、一昨日に強い風が吹いたので桜の花が飛び散ってしまいました。  そして新緑の初夏を迎え、佳澄丘陵・川北丘陵の山々の色が新緑の美しい丘に変化しました。道路では、ハナミズキの花が少しづつ真っ白で大きくなり始めました。ウオークすると気分のいい季節ですね。 写真は葉桜になっても綺麗で、庭に咲くチューリップが一杯の花も散り始めています。知人の庭です。
 

 


 4月 7日 土曜日


 

地元町内会から推薦され防犯委員に


 福生警察所あきる野市防犯委員会に参加して半年となります。  オレオレ詐欺が高齢者を苦しめています。だまされない様にするには近所の高齢者に・・・「困っていることありませんか?」「変な訪問販売や何か買ってくれとか、家の修理などで電話がありますか?」など、声掛け合う必要がありますね。  元気で街でも明るい高齢者で居てほしいと思いますが、私も77歳 喜寿を迎えました。この歳になれば会う人に声かけてもいいでしょうね。狙われているので力合わせて「ダマされない様に・・」と。頂いた消費相談のリーフレットをみてください。
 
  

 4月 6日 金曜日

横田基地にオスプレイCVー22が


 安倍政治のもとで、西多摩地域をはじめ東京・全国に中曽根元首相が言っていた通りにアメリカの極東アジアでの「不沈空母」にいよいよ変貌することになる。  恐ろしいことです。この変貌に黙っていたら、貴方はこの歴史的屈辱に黙っていたことになる・・・私はそんな思いで今日の横田基地フレンドパークに夫婦で行ってきました。
 

 

 4月 5日 木曜日


 

あきる野美術会の総会の案内が


実は私は4年ほど前に、あきる野美術会に加盟しました。事務局長の太田さんから粘り強い入会を勧められました。  現役で働いていたことと、ドッシリ座って風景画を描きたいと思っていても仕事が仕事なので皆さんにどう思われるか?ということで作品を描いている余裕がありません。  勇退した今こそ・・・と思いながらも気持ちが整理できていないのです。 今日の写真のような桜が満開時など、三色の色が輝く庭木をみるとたまらなく絵を描きたい気持ちが起こります。「あいつ辞めたらなによ~」と言われそうですね。  今、神明神社のラジオ体操会、いきいきセンター友の会、ファインプラザでの運動ジムで顔見知りになった方々とお付き合いしています。さらに福生警察防犯委員を町内会から勧められて、オロオロしています。一応、制服と帽子をかぶって地域の防犯の点検活動が求められてもいますが、恰好がつきません。退任してから10ヵ月になりました。選挙という個人への支持でガチガチだった長い期間のため、思い切った行動がとれません。また団体活動では経験がありません。    4月に入って各団体は総会がそれぞれ行われ始めています。あきる野美術会の総会の案内が届きました。絵の道具は少しづつ希望もあり準備しています。一度も筆のケースも開けていないような状態です。  党と大衆的な闘いの活動も、安倍暴走政治のもとで忙しくなっています。近く、日記に絵を描いた作品を展示出来るよう頑張ります。
 

 4月 4日 水曜日

富士通あきる野工場 撤退し解体 7億円の税収は空文句でした


  昭和47年に法制化された「公有地の拡大に関する法律」により、土地開発公社を立ち上げ、富士通の用地確保のため農家から現在の富士通社有地を坪38万円から39万5千円で購入し、富士通に土地開発公社は販売しました。  一部残っていた緑地は、農家の相続税猶予などの土地であったため土地開発公社が富士通に売れずに土地開発公社が残りを自然緑地として購入しました。その緑地は医療法人杏林会が、簿価の6億2589万4648円で買い取ってもらえました。現在リハビリ施設が建設されています。  議会で私は、富士通誘致にあたり当時、企業誘致のために土地開発公社を利用するのは「公有地拡大に関する法律」と性質と違うと意見を申し上げました。企業誘致の土地購入は「公有地の拡大に関する法律」ではないからです。  この法律では土地購入だけではなく、土地を造成する費用まで法律の対象となっていたことから、大きな「吸い込み層」から大谷石の塀まで、土地開発公社が21億円の借金をして予算を投資しました。  富士通に土地が簿価で売れたことから、将来は、市に約7億円の税収が入るという説明を議会全員協議会で当時の渡辺助役が行っていました。ちなみに従業員は500人とも説明していました。
 

 

 4月 3日 火曜日


 

喜寿を迎えました


 私は1941年、昭和16年4月3日に生まれました。神奈川県川崎大師がある門が見える当時は畑ばかりがある地域で生まれました。  戦争が激しくなり、東京大空襲の時に父の茨城県友部群岩間の実家目指して両親と弟の4人で歩いて疎開しました。どういう訳か、銀杏並木の道路で空襲に見舞われています。新宿御苑の池で東京大火災を体験しています。  父に後で聞くと新宿御苑には爆弾が落ちないのだと聞かされました。途中の日暮里で父の兄が防空壕の中で水に浸かって死んでいました。それから思い出に空白があります。茨城県岩間での生活をしていたことを想い出されます。お寺でよく遊んでいました。教住寺であったことは後に知りました。4歳の時から東京武蔵境の通産省の官舎で暮らしていました。過去のこの日記でも書いていますが、子ども時代の話はまたの機会にするとして、武蔵野2中を卒業して横河電機で旋盤工として働き、夜は小金井工業高校に通いました。当時の子どもの頃のことも過去の日記に掲載しています。  喜寿を迎えて今、想うことは・・・よくもま~、元気に行動的に生きてこられたことだと自分ながら感心しています。  喜寿を迎え、多くの同級生や先輩が他界していることに神妙になっています。早く亡くなられた仲間や友人・先輩に対し、「申し訳が出来る人生」目指して生きていく思いです。  幸い、私は21歳の時に日本共産党に入党しました。勉強嫌いの学歴も常識もない私が、再び戦争で苦しむことが無いような社会をつくりたいと誓い、正しいことを正しいと、間違っていると思う事には間違いだと言える人生を生きたいとしっかり主張でき、行動できる生き方をしたいと19歳で日本民主青年同盟に加盟して「未来は青年のもの」と頑張り、党に入ってからは、国民が幸せに生きられる社会めざし「社会変革のため」生きてこそ・・と・「生きる道」と確信をもって生きて来たからこそ今があるのだと思っています。  政策が正しくても人間関係などで思うようにはいかず悩んだこともありますが、なにはともあれ、まっとうに闘いの先頭にたって生きることに心がけました。  思っていることを「立派」に書きましたが、喜寿を迎えた老人の日記だと思っていただきお許しください。  残る人生も、いきいきと元気に命ある限り社会が国民多数の幸せのために役立つ生き方をしてまいります。  文章の間違いや誤字脱字について、近いうちに訂正することはお許しくざさぃ。  
 

 4月 2日 月曜日

今年の春の花は元気が良くとても綺麗


 どうやら子ども達の入学式までには葉桜になってしまうのかなー。寒かったり雪が2度も降った後に良い天気が続いたせいか、待ってましたと・・・花が一斉に咲きましたね。  桜の種類から、日を追うごとに各種の桜が綺麗に咲きますが今年は一斉に咲きだしました。  私が大好きな近所の庭に咲いていた桜を撮りました。明日はとうとう私も喜寿を迎えます。歳を摂りたくないですね。
 

 



 
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