戸沢ひろゆき 日々の日記


 元地方議員 戸沢ひろゆきの日記
 



 8月 22日 木曜日

夕食は老夫婦で 回転寿司


毎日暑い日が続いているます。日の出町の町議選も始まり忙しい活動する典子さんを疲れさせている。

 そこで、夕食は2人だけの家なので、回転寿司、サイゼリア、イオンモールのフードコートで毎週夕食は3カ所で済ませ「手抜きOK!」で植生カサしている。

 今日は「浜寿司」でした。芋焼酎一杯350円と皿寿司・二人で11皿。周りの席が子供ずれだととても家庭的です。

 私らの時代には、こうして子供ずれで夕食を食べられる環境はありませんでしたね。そのせいでしょうか???子ども連れの隣の席などに座ると、孫たちを思い出されるので・・・「家庭的」と言う環境になってしまいます。

 来週は料金が安く、ワインを持って帰れる・・・サイゼリアです。
 

 
 


 8月 21日 水曜日


 

田島道治・初代宮内庁長官が記した「拝謁記」



初代宮内庁長官を務めた故田島道治氏が、昭和天皇とのやりとりを詳細に記録した「拝謁(はいえつ)記」が19日、公開された。全国各地で反米軍基地闘争が起きる中、昭和天皇は1953年の拝謁で、基地の存在が国全体のためにいいとなれば一部の犠牲はやむを得ないとの認識を示していたことが分かった。

 専門家は、共産主義の脅威に対する防波堤として、米国による琉球諸島の軍事占領を望んだ47年の「天皇メッセージと同じ路線だ」と指摘。沖縄戦の戦争責任や沖縄の米国統治について「反省していたかは疑問だ」と述べた。

昭和天皇
 田島元長官の遺族から史料提供を受けたNHKが19日、遺族の意向を踏まえ一部を公開した。
 それによると、対日講和条約発効により琉球諸島が日本から切り離され米統治となった一方、日本が独立した翌年の53年11月24日の拝謁で昭和天皇は沖縄への具体的言及はないものの基地問題について発言した。
 昭和天皇は「基地の問題でもそれぞれの立場上より論ずれば一應尤(いちおうもっとも)と思ふ理由もあらうが全体の為ニ之がいいと分れば一部の犠牲は已(や)むを得ぬと考へる事、その代りハ一部の犠牲となる人ニハ全体から補償するといふ事にしなければ国として存立して行く以上やりやうない話」だとした。戦力の不保持などをうたった日本国憲法を巡っては「憲法の美しい文句ニ捕ハれて何もせずに全体が駄目ニなれば一部も駄目ニなつて了(しま)ふ」との見方も示していた。
 同年6月1日の拝謁では「平和をいふなら一葦帯水(いちいたいすい)の千島や樺太から侵略の脅威となるものを先(ま)づ去つて貰ふ運動からして貰ひたい 現実を忘れた理想論ハ困る」と述べた。旧ソ連など共産主義への警戒感を強め、米軍基地反対運動に批判的な見解を示していた。
 51年1月24日には「(沖縄不返還のマッカーサー方針について)そうすると徳川時代以下となる事だ。これは誠に困つた事でたとへ実質は違つても、主権のある事だけ認めてくれると大変いゝが同一人種民族が二国(にこく)ニなるといふ事はどうかと思ふのだが此点ニ関し演説で何といふか」とも述べていた。
 田島氏は48年、宮内庁の前身である宮内府長官に就任、49年から53年まで宮内庁長官を務めた。在任中、昭和天皇との会話の内容や様子を手帳やノート計18冊に書き留めていた。インターネットの掲載より 写真は天皇の神 天照大神の尊・神明社でラジオ体操する私。
 

 8月 20日 火曜日

90歳からでも頑張っている素晴らしさ


新宿区の都立新宿山吹高校通信制課程に今春、「90歳の高校生」が入学した。北区在住の舛谷富夫さん。毎週土曜日の登校日には、孫より若い同級生と机を並べ、勉学に励んでいる。 (宮崎美紀子)
 「全てが初体験で、入学してから、あっという間でした。やっぱり中学とはレベルが違う。こんな苦しい思いは初めて」。夏休み前の登校日、放課後に自習していた舛谷さんは、笑った。広げられた数学の課題には、きれいな線でグラフや数式が書き込まれていた。
 今春、千代田区立神田一橋中学の通信制を卒業。中学に入った時から高校進学を希望していたが、「まさか合格するとは思いませんでした」。好きな教科は数学。解けた時の楽しさが格別らしい。
 
一九二八(昭和三)年、秋田市で生まれた。十四歳で国民学校を卒業し、大田区の軍事工場で働くために上京。父を早くに亡くし、進学は考えなかった。先の大戦では、工場で空襲も経験した。「サーサーと雨が降るような音をたてて焼夷(しょうい)弾が落ち、それがやむと工場の鉄骨にパチン、パチンと当たる音がしました」。防空壕(ごう)から出ると煙が立ち込め、電柱には吹っ飛ばされた誰かの腕が絡まっていた。「よく助かったな…。生かされたんでしょうね」と振り返る。

 8月150日に地元瀬戸岡地域で、すいとんを食べる会を開催しました。そこに参加された田中さんが俳句を披露してくれました。
 私達の地域にも90歳をこえて95歳の女性がチャンと居るのです。
 

 
 

 8月 19日 月曜日


 

セミが おしっこした



  朝のラジオ体操前に神社の境内の林の中で毎朝ゴミを拾ったり、雑草の下刈りを少しづつしている。

 今朝は蝉の雄・雌が仲良く大きな木のところで朝を迎えたのでしょうね。
突然泣き出し、みぃんと声を出して二匹が逃げていった。

 その際に、私の顔に「おしっこ」を浴びせて・・・こんな経験は自分が子供の頃に体験したことはあるが、まさか78歳ににもなってこんな経験が出来るとは思っていませんでした。

 顔と頭の汗と共にこの「おしっこ」を拭いて、幼い時代に一瞬 戻ったような気がしました。仲間に話すと。。。「今日は良いことがあるんだ」そうです。笑い話になりました。写真は蝉のツガイです。
 
  

 8月 18日 日曜日

今年も 届きました。サギ草の花



 毎年夏の暑い日に町内会の親しい友人からサギ草が届きました。

 この方は最近までボランティアで昭和記念公園で植木や苗の生育管理を続けて来た方です。

 また、こうしてパソコンでお知らせしていることに感謝して頂いているので毎年届くのです。

 こんと何時か みんなでお話を聞く集まりをしたいと思っています。サギ草・・・素晴らしいでしよう!!!。

 

 
 

 8月 17日 土曜日


 

すいとんを 食べる会



 ウイークデーで台風が来るという中で、すいとんを食べる会が開催されました。なんと18名が集まり、戦争体験・その頃のあきる野市の姿、成長盛りの頃の食べ物など沢山の思い出話がだされました。

 なかでも、このようなチラシがアメリカの戦闘機(B29)から空に巻かれたりしました。今度はこの地域を爆撃するという予告のビラです。
 こんなビラが撒かれると子どもの頃は拾いにいったなどという話もだされました。

 二度と戦争などさせてはならない!!!高齢者の集まりでしたが党派を越えて広い市民の声が集まりました。
 

 8月 16日 金曜日

南聖園の南の道路が明るく広く



 こうして特別養護老人ホーム南聖園が出来て周辺の生活道路が明るくなりました。
 私は40年がかりで2.7㍍の生活道路を広げる地権者交渉と公・民境の確定に努力してきました。
 時には、元市長の田中雅夫さんと市長公用車でこの道を通って狭い実情を説明してきました。幸い、道路は広がりましたが排水は一部165号都道に放流させました。なんだかんだとその間、10年間程度かかった市道路です。こうして広がってきたころの写真をみながら思い出しました。
 

 
 



 
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